TOPへ戻る 輝く鏡  
いつものように帰宅したのは午後8時前だった。玄関のキーを差し込んだとたん異変に気づいた。鍵が開いている!
そーっとドアを開けて部屋に入り、用心深く各部屋を確認した。誰もいないようだ。
クローゼットや机の引き出しが無造作に開けられているのを見てドロボウに入られたことを確信した。怒りが噴き上がってきたがとにかく警察に連絡した。
盗まれたものを確認すると、幸いにもというかパソコンやスークで買ったものは無事だったが、机の引出しに入れておいた現金3万円がなくなっていた。

近くの派出所から警察官がふたりやってきたので、玄関の鍵が開いていたことや現金が盗まれたことを説明した。その間にもうひとりの警察官が指紋が取れそうな場所に黒い粉を振りかけていた。
エレベータや通路で住人以外の人間を見なかったかとか、夜中に怪しい物音を聞いたことはないかとか質問されたが、答えようもなかった。よく訊いてみるとここ1ケ月くらいの間に5件もの空き巣被害が発生していたんだそうだ。
このマンションの住人は、独身者がほとんどで近所付き合いが希薄なため、ピッキング被害の情報が伝わらないのでまとめて被害にあったらしい。

概要を書いた文書にサインをし、空き巣の指紋と区別するために両手の指紋を採って調査は終了した。
帰り際にひとりの警察官があの鏡の前で立ち止まった。そしてするどい声で玄関を出ようとしていたもうひとりの警察官を呼び戻した。ふたりは驚愕の表情で鏡を凝視した。
鏡は、異常に輝きくっきりと数時間前の部屋の中を映していた。鏡には、クローゼットを開け、中を物色しているひとりの男が映っていた。男は背広のポケットを探ったりしていたが諦めて机のほうに移動して鏡の中から消えた。

警察官ふたりは同時に振り向いてクローゼットの扉を見た。そこには鏡と同じ扉があった。
ふたりはまた鏡のほうに顔を向け、ひとりがそっとカメラを取り出した。5分ほどたった時、3回ほどシャッターを押した。しかし、カメラのフラッシュは鏡に反射することはなく、鏡の中ではあつかましい空き巣男が鏡に手を伸ばし黒い革手袋をした手でガラスの表面をこすっていた。どうやら鏡が曇っていたようだ。
男にはまったく見覚えがなかったし、どこにでもいる普通のサラリーマンのようにみえた。足がつかない現金専門の空き巣なのか、単に金目のものではないと判断したのか、そのまま振り向きもせず行ってしまった。鏡の中にはクローゼットと壁の静止画像が残った。

ひとりの警察官がこの鏡はどういうものかと訊いたので、先日の旅行で買ってきたもので値段は日本円で5万円くらいだったと答えた。もうひとりの警察官に小型の監視ビデオカメラなどは設置していないかと尋ねられたが、首を振るしかなかった。念のため鏡を壁から外して表面と裏面の撮影もした。
壁に戻すときにもう一度鏡の中を確認しているようだったが、鏡の中にはクローゼットと壁の静止画像があるばかりだった。

警察官が帰ったあと、部屋を片付け掃除機をかけたり拭いたりして、現金を盗まれた腹立たしさ以外の痕跡は消し去った。簡単に取り付け可能という鍵をネットで探して注文することも忘れなかった。

翌朝、出掛けに鏡をみるとネクタイに手をあてているいつもの自分が映っていた。相変わらず鏡の真ん中あたりは曇っていたが、どういう気まぐれか時間の誤差は修正できているようだった。
ところが、駅に向かって歩いているときにふと違いに気づいた。鏡に映っていたネクタイを自分は持っていないと。